監督・撮影:マシュー・ハイネマン/製作総指揮:キャスリン・ビグロー/2015年メキシコ・アメリカ100分原題:CARTEL LAND/配給・宣伝:トランスフォーマー

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MEXICAN DRUG WAR HISTORY

1848年

米墨戦争終結、敗れたメキシコはアメリカに国土の約半分を割譲。

1800年代末

メキシコ北西部での鉱山労働や鉄道建設に従事するため中国人労働者が導入され、同時にアヘンとケシ栽培がメキシコに伝播する。

1914年

アメリカ合衆国、初めての麻薬取締法、ハリソン麻薬取締法制定。メキシコ―アメリカ間の麻薬密輸が始まる。

1920年代

禁酒法時代。メキシコからアメリカへアルコールがさかんに密輸されるようになる。

1933年

禁酒法の廃止。密輸業者はヘロインやマリファナをおもに扱うようになる。

1940年代〜50年代

第二次世界大戦中、メキシコ北西部でアヘン生産が拡大、中西部にも広がる。

1960年代

ベトナム戦争とヒッピー・ムーブメントにより、アメリカ合衆国におけるマリファナなどの麻薬消費量が増加。

1970年代

アメリカ合衆国の麻薬消費がコカイン主流となる。コカインは主にカリブ海経由でコロンビアからアメリカ合衆国に運ばれた。コロンビアの麻薬カルテルが大きな力を持つようになる。

1973年

リチャード・ニクソン大統領、麻薬取締局(DEA)創設。

1970年代後半〜80年代

コロンビアの麻薬カルテル、コカイン密輸で莫大な利益をあげる。最大の麻薬組織メデジン・カルテルのボス、パブロ・エスコバル、国会議員になり、『フォーブス』誌の長者番付にも名を連ねるなど権勢を誇る。
80年代、ロナルド・レーガン政権は麻薬対策に軍を動員するなどし、カリブ海からフロリダへの密輸ルートが徹底的に叩かれる。コロンビアからのコカイン密輸は、中米からメキシコを通る陸路へと徐々に移行する。

1993年

パブロ・エスコバル、殺害される。アメリカ合衆国やコロンビア政府の圧力により、コロンビアのカルテルは徐々に弱体化、メキシコのカルテルがやがて台頭する。

1994年

アメリカ・カナダ・メキシコ間で北米自由貿易協定が発令する。メキシコ国境の物流量が飛躍的に拡大し、メキシコの麻薬カルテルの活動は活発化。

1997年

メキシコ北東部を縄張りとするゴルフォ・カルテルが、武装部隊セタスを結成。

2000年

国民行動党(PAN)のビセンテ・フォックスがメキシコ大統領に選出される。71年に及ぶ制度的革命党(PRI)の独裁的支配が終る。麻薬マフィアと古くから癒着してきたPRIが政権から退いたことで、メキシコ国内の麻薬ビジネスにおける支配の地図が変化する。

2000年代前半

セタスとメキシコ北西部を支配するシナロア・カルテルの抗争が激化。2005年にはメキシコ国内の組織犯罪がらみの殺人が1500件を超える。

2006年

フェリペ・カルデロン、メキシコ大統領に就任。麻薬組織に対する戦争を宣言し、ミチョアカン州に軍隊を派遣、次いで北部国境地帯にも派兵。しかしこれが麻薬カルテル間の抗争を誘発し、殺人件数が激増。暴力の嵐が吹き荒れることになる。2006年から2012年のカルデロン政権下での麻薬戦争に関連した犠牲者は、公式には6万人といわれるが12万人という数字も出されている。

2011年

ファミリア・ミチョアカナ・カルテルが分裂して「テンプル騎士団」が誕生する。

2013年2月24日

ミチョアカン州で自警団結成。12月、PRIのエンリケ・ペニャ・ニエトが大統領に就任。組織犯罪にかかわる殺人件数はあまり減少せず。

2014年

メキシコ最大のカルテル、シナロア・カルテルの最高幹部のホアキン・グスマンが逮捕されるなど、多くの大物ボスの逮捕、殺害が続く。

2014年5月

ミチョアカン州の自警団の大部分が「地方防衛軍」として合法化される。6月、ドクター・ホセ・ミレレス、武器所持の罪で逮捕される。

2014年9月23日

メキシコ南西部ゲレロ州イグアラ市で、警官らに襲撃され学生や市民ら6人が死亡、アヨツィナパ教員養成大学の学生43人が拉致され行方不明となる。事件をきっかけに各地で激しい抗議デモや集会が行われる。

2015年7月

ホアキン・グスマンが刑務所から2度目の脱獄。

2016年1月

ホアキン・グスマン、シナロア州で再逮捕される。